関先生のこと
補習校と関先生とは切っても切れない関係にあった。 この20年間補習校は関先生なしでは語れない。 同時に関先生にとっての補習校はブルーミントンでの生活の中でとても大きな部分を占めていた。
ブルーミントン・ノーマルに日本語の補習校ができるなど20数年前には誰も予想もできなかったところ、ある日突然自動車工場ができて多くの日本人がやってきた。 そのために補習校が作られた訳だけれど当然教えることの出来る先生が必要になる。 たまたま関先生がご主人の仕事の関係でこの町に住んでいたということは奇跡的な偶然だったのだろうか。 補習校はこの長い歴史の中で常に素晴らしい先生に恵まれてきたといえる。 しかしほとんどの先生は一時的にセントラルイリノイに住んでいたため1・2・3年など短期間しか教えることができない。 その中で関先生は、補習校にとって幸いだったが、異動する必要がなかったため毎年教壇に戻っていただくことができた。 生徒を教えることはもちろん、教師団の中でも中心的存在となりまとまりを強めるとともに新しい先生の指導にも力を入れるなど教師団の質の向上に貢献するほか、学校のスムーズな運営を図るための種々のシステム作りなど関先生の学校に対する献身的な努力とその成果は語りつくせない。 20日にご家族を招いてメモリアルサービスを行った際にご主人なホーキンスさんが語られた通り補習校は関先生にとってすべてだったといっても過言ではないほど大切なものだったと思う。 補習校の先生になるに際して愛媛県の教育委員長をされていたお父様にお願いして日本の学校見学をされるなど最初から全力投球を志すという気持ちを持ち続けて最後まで全うされたその真摯な態度に心底から敬意を表したい。 病気にたおれたあと手術・投薬治療などなど肉体的にも苦しい思いをされたのであろうが強い精神力を持たれて教頭として、また教師として復帰することができたときの先生の喜びはひとしおであったろう。 結局1年半でふたたび闘病生活に戻られたがこの間の充実した学校生活はそれこそ生涯の最良の思い出になったに違いない。 さて、はじめに訂した補習校と関先生の出会いは奇跡だったのかという疑問だが、これは決して偶然ではなくすべてある意思によって決められていたものである。 その後切っても切れない関係は20年続いたが、関先生の他界というわれわれにとってとても悲しい結果で終わらざるを得なかった。 しかし関先生の残したものはみな受け継がれている。 学校が続く限りこの切っても切れない関係は残るだろう。 同時に関先生との出会いはわれわれ学校関係者にとって一生のいい思い出となる。
クリスマスシーズンは救世主イエスキリストの降誕を祝う本来なら悦ばしい季節のはずだけど、今年は関先生との別れを余儀なくされ残されたものにとってさびしい思いを感じさせるものとなった。 神の意思がどこにあるかわれわれには計り知れないが、前述の出会いを含めすべて神の愛に基づく意思の表れなのだろう。いつかお会いできるのだからしばらくのお別れは我慢することにして、関先生に教えられたものを引き継いでがんばってやって行こうと思う。
昨年度の補習校の文集に寄稿された関先生の文にすべての思いが籠められています。
「二度目のお別れ」 関啓子
3年前、17年間勤めた補習校を病気のため退職しました。 その時は病気への怖れのため「私は17年間かかって、補習校を卒業するんだ。」と考えるように努めました。 初めのうちは、術後の痛みで苦しみましたが、一段落すると、今度は土曜日になると「私は今、家にいていいの?」という感じで体がムズムズしてきました。 その時補習校は私の生活の一部というよりも、体の一部なんだと実感したのです。 そしていつか補習校に戻りたいという気持ちが募ってきました。
1年後にボランティアとして、そしてその3ヵ月後に教頭として、補習校に戻ることができました。 みなさんの元気な声、走り回る姿、全て私のエネルギーの源になったような気がします。 「織田信長はチョコレートを食べたと思いますか?」という一児童の質問に、歴史の楽しさと重みを味わいました。 また、今年度は小6の算数・社会科と2時間を受け持ったのでもっと児童と親しくなれました。 一緒に作った歴史カルタやクロスワードパズルは私の宝物になりました。 こんな幸せがずっと続くような気がしていた時、病気が急激に悪化し学校に行けなくなってしまいました。 しばし二度目のお別れです。
今は酸素吸入をしながら補習校のことをあれこれ考える日々です。 先生が急に替わって、戸惑っているのではと思っている矢先、元気な二人からカードをもらい安心しました。 いつも君たちのことを思っています。 卒業式には出席できないと思いますが、君たちの立派な姿を思い描いています。
校長先生をはじめ先生方とは、同僚というよりも友達のようなお付き合いをさせてもらいました。 仕事をきちんとこなす小気味よさ、昼食時のたわいのないおしゃべり、節目毎のパーティー、楽しかったです。
ではまた。
関先生は2008年12月17日午後5時25分ご自宅でご家族の見守る中息を引き取られました。